【韓流20周年企画-東方神起編】2022年は、日韓同時開催が話題となったFIFAサッカーワールドカップから20年を迎える年となる。振り返ると日本の韓流ブームの歩みも、同じようなタイミングだったのではないだろうか。そこで今回は韓流20周年、K-POP帝王と称される東方神起の日本デビューにフォーカスを当ててみた。

日本の韓流ブームを語る上で欠かせない、K-POP。

彗星のごとく日本の音楽シーンに登場したかと思えば、瞬く間に人々を魅了。爆発的な人気を得たK-POPは1つのジャンルを確立し、日本の音楽シーンをリードする存在となった。

東方神起の現在のメンバー

現在の東方神起(画像出典:TVXQ公式Instagram)

一大ムーブメントを起こし、日本にK-POPを浸透させたのは、ボーイズグループ東方神起(TVXQ)の存在ありきと言っても過言ではないだろう。

K-POPを語る上で欠かせない存在である、5人組時代の東方神起の軌跡を辿ってみよう。

現在、K-POPのパイオニアとして、K-POPの帝王として、音楽シーンをけん引し続けている東方神起。韓国のみならず、日本においても素晴らしい功績を残している。

“K-POPの帝王”、そう呼ばれるようになった”始まり”とは、2007年に開催された初の日本武道館公演ではないだろうか。

K-POPの帝王、その始まりは”地下アイドル”と変わらない無名時代

東方神起の5人時代

5人時代の東方神起(画像出典:韓国オンラインコミュニティー)

東方神起が日本デビューしたのは、2005年のこと。すでに韓国ではトップアイドルとして活躍を見せていた彼らであるが、日本では鳴かず飛ばずの売れないアイドルだった。”地下アイドル”と変わらない無名時代を送らねばならず、努力と地道な活動を重ね続けていた。

日本で成功した歌手になりたい‥

そう思い続けるメンバーらは、多忙を極めた時期をその信念だけで乗り越えていたようだ。

しかし、日本での活動は試練の連続だったという。

新曲をリリースする度に、少しずつランキングが上がっていくものの、レコード会社の期待を上回ることはなかった。

それには”時代”という抗えない理由もあったようだ。韓流ブームが盛り上がっていた日本であるが、音楽業界は韓流どころか、かえってアルバム市場の萎縮や第1世代K-POPアイドルらのエンディングにより危機に見舞われていた状況だったからだ。

ただ日本に上陸しただけ‥彼らに待っていた厳しい現実

初々しさが残るデビューした頃の東方神起

デビューした頃の東方神起。初々しさが残る(画像出典:韓国オンラインコミュニティー)

デビューした年の8月、彼らはエイベックス所属アーディストが集結した夏フェス”A-nation”に初出場することになるが、もちろん観客の反応は冷ややかだった。過去、韓国で活動していた時から東方神起を知っていた少数のファンを除いては、初めて見るアイドルグループの登場に大きな関心を示さなかった。

このように、2005年はただ”日本上陸しただけ”と慰めざるを得ない状況だったという。

同年、韓国で発売された2ndアルバム『RISING SUN』は、各種音楽チャートを席巻し授賞式で大賞を受賞するなど大成功を収めただけに、日本と韓国、両国間での状況は対照的だった。

あるメンバーは、当時のことをこう振り返る。

韓国では最高のグループだ、最高のアーティストだと言われるが、日本では誰もそのように自分たちを認めてくれず、そのことからくる乖離感があまりにも大きかった。

この時、メンバー同士で真剣に日本活動を止めるのはどうかという話が行き交ったという。

徐々に名前が売れ始めるも

韓国ではトップアイドル、しかし日本では‥。そのジレンマに悩まされていた東方神起

韓国ではトップアイドル、しかし日本では‥。そのジレンマに悩まされていた東方神起 (画像出典:韓国オンラインコミュニティー)

その後、2006年3月に5枚目のシングル『明日は来るから』をリリース。この曲が日本アニメのエンディングテーマ曲に採用され、東方神起いうグループの存在を知らせ始めた。

さらにファンを増やすため、ライブハウスを中心とした日本全国ツアーを開催。小規模な会場ばかりだったが、このツアーのおかげでか、その後リリースした楽曲は本格的に上昇曲線を描き始める。

これと同時期に、韓国では3枚目のアルバム『”O”-正・反・合』がリリースされ、当時アイドルグループとしては珍しく30万枚のセールスを記録。これにより東方神起は名実共に韓国最高の歌手に成長した。

しかし、日本での状況はまだ変わっていなかった。韓国での喜びを享受したかと思えば、日本に来ると無名の新人という切ない気持ちを味わざるを得ないという状況だったようだ。

運命を変えた、日本武道館での公演

そのような気持ちを抱えながら迎えたのが、2007年6月に開催された日本武道館での公演だ。

当時、日本武道館は「成功した歌手の第一関門」と呼ばれていたステージ。東方神起のポジションにとっては厳しいと言われており、ステージが成功するのかは半信半疑されていたという。

だが、結果は大成功。その心配を打ち消すかのような感動的なステージを届けた。

当時の公演がライブDVDとして発売されたが、後半にメンバーが熱唱した楽曲『PROUD』は、今もファンの間で長く語られる名シーンとなった。

『PROUD』を熱唱する東方神起の5人

『PROUD』を熱唱する東方神起の5人(画像出典:韓国オンラインコミュニティー)

普段はあまり泣かないメンバーも、この楽曲を歌っている途中、こらえきれずに涙するシーンも。この姿は多くのファンの脳裏に刻まれるのに十分だった。会場でこの姿を見守ったファンも涙を流すしかなかったという。

その時、東方神起の5人は、多くの日本ファンの前でこう誓っていたに違いない。

この愛を守りぬける。君とならばきっと越えられる。

****

この公演こそが、”東方神起”の始まりだったと言っても大げさではないだろう。

間もなく日本デビュー17周年を迎える彼ら。その間、さまざまな出来事があり5人組時代の東方神起も歴史の一部になったのだが、現在もなお”K-POPの帝王”にふさわしい活躍を見せている。

3月16日に日本オリジナルミニアルバム『Epitaph』をリリースし、精力的な活躍を見せている東方神起。

世界中で空前のK-POPブームとなっている今も、第一線を走り抜いている彼らには、ただただ圧倒されるばかりだ。


武道館での『PROUD』のステージを振り返る東方神起の5人






東方神起

東方神起(TVXQ)は、チャンミン、ユンホによる韓国出身の男性デュオ。
レコード会社兼芸能事務所のSMエンターテインメントに所属し、韓国や日本を中心に活動している。
2010年までは5人組ボーカルグループで活動していたが、2009年7月メンバーのうちジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人が所属事務所に対する専属契約効力停止の訴訟を起こし、5人での活動が無期限休止され、翌2011年1月のカムバック以降はユンホ、チャンミン2人で活動している。

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