俳優のダニエル・ヘニーが出演する映画『共助2:インターナショナル』が、9月7日に公開された。いまや、韓国を代表する俳優となった彼の出演作ということもあり、注目を浴びているが、ここまでの道のりには計り知れない苦労があったようだ。
ヒョンビン主演の映画『共助2:インターナショナル』が、9月7日に封切りされた
公開初日にボックスオフィス1位を記録、好調な滑り出しを見せている。
そんな中、注目されている出演者の1人が、『私の名前はキム・サムスン(MBC/2005)』以来、約17年ぶりにヒョンビンと共演したダニエル・ヘニーだ。
同作をきかっけに優れた容姿が話題となり一躍有名になった彼。当時はまだ新人だったが、いまや韓国と米国ハリウッドで活躍する実力派俳優に。17年の時を経て、役者としてさらに成長を遂げた彼が、ヒョンビンとどのようなケミストリーを披露してくれるのか期待されている。
(関連記事)ダニエル・ヘニー「’私の名前はキム・サムスン’を見ると恥ずかしくて逃げたい」しかし、現在の地位を築くまでには様々な困難に遭遇したのをご存じだろうか。
彼といえば、“ハンサム”という言葉がぴったりで、甘いマスクに高身長が魅力の1つ。
その抜群のビジュアルを活かし、役者になる前(2001年)は、世界各地のファッションショーでモデルとして活動していた。
ところが、アメリカ人の父と養子に出された韓国系アメリカ人の母の間に生まれた彼は、ハーフであることを理由に、様々な偏見に悩まされたのだとか。
特に、韓国では当時その傾向が強かったと言われているだけに、ダニエル・ヘニーの苦労には計り知れないものがあっただろう。
しかも実は、これが初めての体験ではなく、アメリカで生活していた学生時代には、東洋的なビジュアルを理由に、友達からひどいいじめを受けていたという。
2005年7月に、45年ぶりに韓国を訪れた母が当時を振り返り、あるインタビューで当時を振り返った。
それによると、特に中学校2~3年生の時が最も激しかったようで、同級生からの暴行によりダニエル・ヘニーは指が全て折れてしまったそうだ。
母親は、自分が”アジア系アメリカ人”として通ってきた辛い道を、息子も辿っていることに悲しんだという。
そんな彼女がとった行動が、学校に行き、校長をはじめ暴行した子どもたちとその両親に、「私たちは、(あなた方と)何も変わらないんです」と、差別をしないでほしい旨、真剣に話すというものだった。
息子がいじめられた原因が、危害を加えた子どもたちにあるのではなく、教育の問題であると思ったから。
このような母の下で育ったからか、ダニエル・ヘニーも自身が置かれた状況に嘆くのではなく、美しい心根とポジティブ思考で苦境を乗り越えていったという。
また、両親に頼るというよりは、自身が直接ぶつかりながら経験することを望む、彼の自立した性格が良い結果を招く要素となったのではないかと母親は語った。
幼い頃、壁に当たるとより誠実に生活する学生だった彼は、最終的には中学校の卒業パーティーで、“最高の男子学生”の1人に選ばれたのだとか。
そして現在は、韓国のみならずアメリカでも華やかな活動を繰り広げ、役者として多くの人から愛されるスターに。
彼の母親は、インタビューの最後で息子のルックスについて質問されると、「ルックスよりも心が綺麗」だと語った。
ダニエル・ヘニーが苦しい状況にも腐らず、逆境を乗り越えられた理由は、どうやら彼の“美しい心”にありそうだ。
(構成:西谷瀬里)
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