BoAが歌手デビュー20周年を迎えた。輝かしい功績を残しK-POPを代表するソロアーティストとして君臨してきたBoAがSMエンターテインメントやK-POP全般に与えた影響力を振り返ってみる。

2000年8月25日、13歳のBoA(ボア)がデビューした。

BoA

当時満13歳でデビューしたBoA(画像出典:BoA公式FaceBook)

H.O.Tや神話、S.E.Sなど、第一世代を代表するトップアイドルを生み育てたイ・スマン氏が、3年という時間を費やして育て上げた”新アイコン”が初披露された瞬間だった。当時は珍しいと思われていた「有望な練習生を、時間をかけて育てる」という、K-POP独特の”育成システム”の成功者第一号と言っても過言ではない。

BoAは韓国でも高い人気を誇ったが、日本での成績はさらに輝かしい。

韓国人初のオリコンチャート1位を記録するなど、韓国アーテイストに高い壁と言われていた日本市場を開拓した張本人がBoAだ。


BoAデビューステージ『ID : Peace B』(動画出典:빽능 – 스브스 옛날 예능)

BoAがいなければSMもなかった

SMエンタの総括プロデューサーイ・スマン

SMエンターテインメントの創業者イ・スマン(写真提供:©スポーツ韓国、画像出典:SMエンターテインメント)

2008年、SMエンターテインメント(以下、SM)の創業者であり、総括プロデューサーのイ・スマン氏は、BoAのアメリカ進出を記念して行われた記者懇談会でこう語った。

「BoAがいなければSMもなかった」

BoAを身近で見守り、彼女の努力とスター性を誰よりも知っているイ・スマン氏。当時K-POPアーテイストにとって、アメリカ市場はまるで”雲の上の世界”だった。そんなBoAの功績を褒め称えるには、これほどの賛辞はない。BoAのアメリカデビューアルバム『BoA』は、ビルボードメインチャートの1つである『ビルボード200』に127位でチャートインした。

しかし、当時イ・スマン氏の発言に対して違和感を覚える人も少なくなかった。前述した第一世代アイドルのファンは、特にそう感じていた。”SM企画”という社名で設立されたSMエンターテインメントが、韓国を代表する芸能事務所へ成長を遂げた背景にある、第一世代アイドルの功績を忘れてはいけないと、彼らは主張していたのだ。

“BoAへの偏愛”とも捉えられたイ・スマン氏の発言。実はこの発言には、いくつかの言葉が抜けている。おそらくイ・スマン氏はこう言いたかったはずだ。

「BoAがいなければ、’世界で活躍するアーティストを排出する’SMもなかった」と。

海外進出のノーハウを体得したSM

第一世代アイドルの功績は素晴らしかった。
彼らの活躍によって、10代の学生は韓国歌謡アルバム市場を牛耳る存在となったのだ。熱狂的且つ組織的なファンクラブが発足され、スターをフォローした。現在のK-POPの根幹となる、あらゆるシステムや現象が、彼らの活躍によって誕生している。

しかし、その影響力は韓国国内にとどまった。
もちろん、海外ファンも存在した。当時中国で巻き起こった”韓流ブーム”がそれを証明する。が、”スタービジネス”にはならない、むしろ本家の許可なしで作られた海賊版CDやグッズが出回り、映像の無断使用が横行するなど、被害だけが増幅。海外ビジネスの可能性に目を覚ましたSMは、スターの現地化や、現地の有力マネジメントとの連携、収益モデルの創出、現地での成功がもたらす付加価値をシミュレーションした。そして日本市場をターゲットにしたBoAを誕生させたのだ。

それにはまず、日本語学習に力を入れた。BoA本人曰く「ダンスの練習より、日本語勉強に多くの時間を費やした」と。日本での安定的な活動をサポートするため、屈指のマネジメントとの連携も積極的に進めた。さらに、当時アジア全域で高い人気を誇っていたJ-POPの波及力を利用し、アジアや世界で知名度を上げるという付加価値も手に入れた。BoAの成功によって、SMは海外で”スタービジネス”を成り立たせる”ノウハウ”を体得したのだ。

BoA

“アジアの星”BoA(画像出典:BoA公式FaceBook)

現在BoAは、SMの現役アーティストでありながら、2014年からは”非登記理事”という肩書きを持ち、クリエイティブディレクターとしてSMの経営にも参与している。
SMは彼女の非登記理事選任に至った背景について以下のように説明する。

「BoAはクリエイティブディレクターとして、様々なコンテンツ及び新規事業の企画に参加。グローバルな活動を通して、培ったノウハウと力量を新たに発揮することを期待している」

BoAが27歳の時だ。これは13歳でデビューしてからの、14年間の活動が高く評価された形だ。