韓国観光公社が公式YouTubeチャンネルで公開している画像。このBGMに昭和の名曲が起用されています。その楽曲とは、韓国のレジェンド歌手が歌った『釜山港へ帰れ』。日本では演歌として知られ、愛されていた楽曲です。当時、トップクラスの人気を誇っていた彼は、まさに今のBTSかのようでした。昭和レトロが逆に新鮮に映る現在の若者にも、”エモい”と推されるであろう(?)、彼の当時の人気を振り返ってみましょう。
往年の雰囲気が漂うバーを訪れたBTS(防弾少年団)のジミンとSUGA。それとともに1本のカセットテープが現れ、懐かしのメロディーが流れる―――。
これは、韓国観光公社(Imagine your Korea)の公式YouTubeチャンネルで公開されている『Feel the Rhythm of Korea with BTS – BUSAN BLUES』という映像に盛り込まれたシーン。韓国・釜山市のPRを目的とした動画で、そこにBTSのメンバーで、釜山で生まれ育ったジミンが登場したものです。(SUGAも一緒に登場します)
公開された映像には、このオープニングに続き、韓国で大ヒットを記録した名曲『釜山港へ帰れ(邦題)』をバックに釜山の街並みが映し出されています。
注目すべきは、その”エモさ”。
まるで昭和レトロの世界観に紛れ込んだような街並み、どこか懐かしい市場を、尖ったファッションで身を包んだ若者が闊歩する姿、のどかな雰囲気の海水浴場と周りに広がる広大な自然、そして青春の1ページような風景といった、ノスタルジックさとトレンドが融合した映像が続きます。
その後、イルミネーションが輝く映画の殿堂、近代的な高層ビル群やライトアップされたダイヤモンドブリッジが現れ、様々な時代感や新しい文化を融合させた釜山の魅力がアピールされています。
この映像を盛り上げるのが、前述した韓国歌手チョー・ヨンピルが歌う『釜山港へ帰れ』。1970年代に韓国で大ヒットを記録したトロット曲です。
実はこの楽曲、日本でも一世を風靡するかのような大ヒットを見せました。この楽曲が日本の大衆に広く知られるようになったのは、演歌歌手 殿さまキングスが『泪の波止場』というタイトルでリリースしてから。
その後、1980年代に入ると、チョー・ヨンピルが来日時に楽曲を披露。それが注目され、瞬く間に人気曲となり、26万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
この当時、演歌を好む中高年世代はもちろん、小さな子どもにまで人気の輪が広がり、学校で口ずさむ子どもも多かったそうです。日本において、韓国歌謡がここまでヒットしたのは、ほぼ初と言えるのではないでしょうか。
チョー・ヨンピルは、カントリーウェスタングループ、エトキンズにてデビュー後、ソロに転向。1975年に『釜山港へ帰れ』を発表し、この曲とともに彼の伝説が始まりました。当時、釜山から人気に火が着き、その後、全国的に広がりを見せ、チョー・ヨンピルの名前が本格的に知られるきっかけとなります。
韓国で多大な人気を得た後、日本においても『釜山港へ帰れ』が愛されました。チョー・ヨンピルは、”韓流”という言葉が誕生する以前、すでに日本人にもよく知られている韓国の歌手だったのです。
楽曲のヒットにより、日本での活動は多彩かつ多忙さを見せていました。当時はまだ、インターネットが盛んでは無かった時代だったため、テレビやラジオ、コンサートなどが主な活動でした。
日本の地上波チャンネルで放送されていた音楽番組への出演はもちろん、1987年には、現在でも韓流歌手の人気のバロメーターとしてよく取り上げられる『NHK紅白歌合戦』に韓国人歌手として初めて出場を果たし、1990年まで連続で出場しています。
韓国だけでなく、海外である日本でも多忙な活動を続けたチョー・ヨンピルは、まさに現在のトップアイドル、BTSジミンのような人気を誇っていました。
1980年代、昭和のトップシンガーとして君臨したチョー・ヨンピルは、日本でも韓国歌手として伝説となる偉業を成し遂げています。まさに令和の今、BTSが得ている人気と同じよな盛り上がりを見せていました。
当時、BTSさながらの爆発的な人気を誇ったチョー・ヨンピル。現代では、彼の大ヒット曲がBTSとコラボし、日本の若者にも受けるような”エモい”ビジュアルを打ち出しました。ノスタルジックさが逆に新しいという若者の感性に沿うような、そして彼らの心を捉えるのに、新旧のビッグスターが一役買ったようです。
若者の心にも刺さる”エモい”楽曲として、リバイバルされる日も近いのではないでしょうか。
Feel the Rhythm of Korea with BTS – BUSAN BLUES
ご意見を自由にコメントしてください!
記事に関するご意見や情報提供はこちらのフォームをご利用ください。