KARA(カラ)出身のク・ハラさんが生前使っていた日記帳が公開されて話題を集めている。そこには、デビュー当時から亡くなる前までの彼女の心境がそっくり含まれている。その中で最も多く使われていた単語とは..
KARA(カラ)のメンバーとして、スター街道を一直線に歩み続けてきたク・ハラさんは、2019年11月に享年28歳という若さで自ら命を絶った。
7月23日に放送されたJTBC『イ・ギュヨンのスポットライト』では、ク・ハラさんの突然の死の裏に隠されていた真実に光を当て、彼女が生前使っていた日記帳が公開された。
デビュー当時から亡くなる前まで、ク・ハラさんの心情がそっくり込められた日記の中で、最も多く登場した単語は“大丈夫”だった。ク・ハラさんは呪文のように“大丈夫”という単語を繰り返して自らを慰めていたと共に「私を産んだママが恨めしい。こんなことなら、捨てるなら、なぜ産んだの」などの文章も残されていた。
『スポットライト』の製作スタッフは、専門家を通じて日記帳の中のク・ハラさんの心境を分析。これを受けた専門家は「父親のことをお父さんと呼んでいるが、母親については名前で呼んでいる」という点を置いて、両親に対する存在感が違うのだろうと明らかにした。
また、日記帳には“お母さんに会いたい”という表現が数回出てくる。これに専門家は「母親というのは、大部分の人にとって、心が休まる所、癒される場所であると思う。もしかしたら実母のことではなく、心の拠り所である“母”を指しているのかも知れない。“癒されたい”というメッセージである可能性が大きい」と説明。
さらに、“私は愛されても良い人なのだろうか?”という表現について、専門家は「自身が愛されるほどの価値がないと自覚している人、無条件な愛を受けたことがない人に見られる感情と似ている」と明らかにした。
ク・ハラさんは、子供の頃に両親が離婚。どちらもク・ハラさんを引き取らず、彼女は田舎の親戚のお婆さんに預けられていたという。
一方、この日の放送では、ク・ハラさんの訃報の後に遺族の間で繰り広げられた相続財産分割訴訟についても報じられ、ク・ハラさんの実母が初めてメディアのインタビューに応じた。
ク・ハラさんの母親は「記者の皆さんから沢山の連絡が来ましたが、受けませんでした。それはハラも願っていないことだと思います」と語った。
続けて「どの親が子供を育てるのを嫌がるでしょうか。でも私には事情がありました。職もなくカバンひとつだけ持って家から出ました。私が育ててあげたかったのですが、育てることができない状況だったのです」とし「私が浮気をして家出したと言われていますが、そうではありません。当時夫が刃物を持ってきて私を殺すと脅迫するなど暴力的だったからです」と釈明した。
最後に、ク・ハラさんの母親は「突然私が現れて相続財産を要求したことではありませんでした」とし「ハラが先に私を訪ねてきました。彼女は母親を望んでいました。これから一緒に旅行にも行って、美味しいものを沢山食べようと話していました」とク・ハラさんと会った時の写真を公開した。
ク・ハラさんが亡くなって8カ月という歳月が経ったが、彼女の死は依然として社会的イシューとして論点が取り沙汰されている。今回のように生前の日記が公開され、実母のインタビューに“光”が当てられても、死人に口なしとばかりに真実は永久に“闇”の中だ..
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